5.[江川剛史の生涯]社会人とカウンセリング編
1.[江川剛史の生涯]誕生から小学校卒業まで 2.[江川剛史の生涯]中学校編 3.[江川剛史の生涯]高校編 4.[江川剛史の生涯]大学編 私は、大東文化大学文学部英米文学科を、 卒業しました。 そして、教員採用試験を受けましたが、 不合格でした。 働かなくてはいけない。 そう思った私は、 リクナビNEXTという転職サイトで、 求人を探しました。 そこで教員を目指している人を求めている、 求人がありました。 個別指導塾の明光義塾です。 私は、その明光義塾の契約社員に応募し、 見事、採用されました。 明光義塾では、 小学生、中学生、高校生がいて、 私は主に、 小学生と中学生を担当しました。 明光義塾の指導は、 一人ひとりにきめ細かい指導をすることが出来ました。 個別指導というのは、 生徒の自立学習を進めることも出来て、 私はこの時、 教育に関して、 考え方が非常に変わりました。 明光義塾は、 遅刻をして生徒に教えるのが遅れてしまったり、 問題を起こしてしまったので、 私はクビになり、 退職しました。 暇な時間が出来たたため、 私は一人考え事をしました。 今までの人生の色々を振り返りました。 過去を振り返り、 私は自分を責めることもしました。 私は深夜、 自分自身に何度も、 心の鞭を打ちました。 何度も何度も鞭を打って、 自分を痛めつけていたら、 本当に心が疲労し、 私は精神的に不安定になりました。 私は、 母に相談し、 病院へ行きました。 診察をした医師は、 私に入院を勧め、 病院で休養することになりました。 外出禁止状態の病院で、 私はひたすら心を休めました。 音楽などをよく聞きました。 治療を受け続けると、 ネガティブなことを考えなくなり、 私は退院をしました。 しかし、 退院はしましたが、 一日中、元気に活動することが出来ないくらい、 気力がありませんでした。 私は心のリハビリを、 ゆっくりしながら、 休息をしました。 気力が戻った頃、 自分のホームページで、 相談活動を再開しました。 色んな人から悩み相談が来ました。 私は深夜の時間になっても、 相談を受けたりしていました。 そうしている内に、 私は心理カウンセラーになりたい。 そう思うようになりました。 私は、心理カウンセラーになるために、 心理系大学院を受験することを決め、 学費を集めるために、 働くことにしました。 給料が良いということで、 引越の正社員になることにしました。 アリさんマークの引越社という会社です。 給料は月収32万円でした。 引越の仕事は、 重い荷物を運ぶ作業で、 特にエレベーターが無いマンションでは大変でした。 それでも6ヶ月勤めて、 私は引越を退職し、 大学院受験のために、 勉強を始めました。 そして大学院受験。 筆記試験には合格しました。 そして教授との面接です。 私は自分の思いを伝えました。 しかし、 教授には、 「大学院では貴方が学びたいようなことは学べないよ。」 そう言われ、 私は大学院入学を止めることにしました。 私は心理カウンセラーといっても、 開業カウンセラーを目指していたので、 大学院ではなく、 他に資格を取って技術を磨くことにしました。 様々な資格を取りました。 米国NLP協会認定NLPプラクティショナー、 米国催眠療法協会認定心理療法士、 国際催眠連盟認定催眠療法士、 国際セラピートレーニング協会認定セラピストなど、 外国の資格も複数所持しました。 そんな中、 私のホームページでの無料相談も、 どんどん増えていました。 そして私は、 皆の幸せのために活動する。 それを掲げてホームページ活動をしていたのですが、 その範囲が、全生物にまで範囲が広がっていきました。 すると、 動物や魚の幸せというものも考えるようになり、 私は肉や魚が食べれなくなっていきました。 そして野菜すら食べれなくなり、 インスタントラーメンを食べようとしたけれど、 お湯を沸騰させると、 沸騰でお湯の中にある細菌が死んでしまう。 それすら考えるようになり、 何も食べれなくなりました。 そうして私は病院へ、 再び入院することになりました。 そこでは、 医者になるために研究しに来ていた、 看護師さんがいました。 私はその方からカウンセリングを受けました。 様々な話をしました。 病院では、 私は空き時間には、 ひたすら持ち込んだ本を読みました。 私が読んだ本の中には、 超訳ニーチェの言葉、 超訳ブッダの言葉がありました。 私は、ニーチェの思想に触れ、 私は、自分自身の思想や考え方を、 改善することができました。 超訳ブッダの言葉では、 怒らない大切さが書かれていて、 私の中にある、 世の中への怒りを捨て去ることが出来ました。 皆を幸せにすることは無理だ。 全生物を幸せにすることは無理だ。 自分自身には力の限界がある。 私は自分の幸せを求めて、 自分のために生きよう。 そう自分自身を大切にする考えを持ち始め、 私は病院を退院しました。 私は自分のサイトで、 たくさんの人の悩みを聞いてきました。 そうしてミイラ取りがミイラになるというように、 私自身も苦しみました。 もうメンタルサイトとは距離を置こう。 そういうことで、 私はメンタルサイトとは距離を置くようになりました。 私は、 自分自身の心にも体にも、 負担の無い仕事をしようということで、 清掃業を選びました。 ハローワークへ行き、 私は、清掃業に就職することになりました。 6.[江川剛史の生涯] ネットビジネス編
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