2.[江川剛史の生涯]中学校編
1.[江川剛史の生涯]誕生から小学校卒業まで 私は家の近くにある、 荒川区立第九中学校に入学しました。 担任の先生は宮木先生という男性の英語の先生でした。 私は英会話学校に通っていたので、 中学校の英語は、 スラスラと分かりました。 英語を学ぶのが、 とても楽しくて、 そして英語を教える宮木先生が格好良くて、 私は中学校の英語教師になりたいと、 思うようになりました。 部活は、やりたいものが、 特に無かったので、 小学校でやっていたのと同じように、 サッカー部に入りました。 サッカー部は毎日のように練習があり、 サボりたいと思いながら、 練習しました。 サッカー部は弱く、 私立の名門中学、 開成中学のサッカー部にボロボロに負けたのは、 よく覚えています。 開成中学には、 勉強だけでなく、 運動でも負けるんだなと思いました。 中学2年生になると、 荒川区主催の海外派遣生の募集が行われました。 無料で、マレーシアとシンガポールに行けるのです。 私は思い切って、立候補し、 作文を書いて見事合格。 海外派遣生に選ばれました。 パスポートを取って、 いざマレーシアへ。 マレーシアの中学校へ行き、 折り紙を教えたり、 マレーシアの歌を歌ったりしました。 次にシンガポールへ行き、 ホームステイをしました。 屋台でまずいデザートを食べたり、 ケンタッキーのコーラーのサイズが、 異常に大きかったり、 飲み物は氷り抜きにしないと、 飲んじゃ駄目と先生に注意されたり、 プールで両足つって、 ベッドに運ばれたり、 色んなことを経験しました。 一緒に海外派遣へ行っている女の子で可愛いなと、 思う女の子がいました。 その女の子とは、 別の女の子と海外派遣の帰り道のバスで、 好きだから付き合って欲しいと、 告白されました。 私はOKを出し、 私は、その娘と付き合うことになりました。 その娘とは同じ荒川区だけれども、 かなり距離が離れていて、 遠距離でした。 一度だけデートしましたが、 結局すぐ別れてしまいました。 中学校2年生の3学期、 中央委員になると、 3年生の送る会に、 携わることが出来ます。 私は1年生の時、 3年生を送る会の時、 いたく感動したので、 中央委員に立候補し、 中央委員になりました。 そして、 呼びかけをしたりして、 送る会を無事終わらせました。 中学校3年生になりました。 さらに音楽に目覚め、 Mr.ChildrenやGLAY、 ラルクアンシエルなど、 様々な曲聴きました。 この頃、 反抗期になり、 父に反発しました。 父はお酒飲んで、 独り言をひたすら言っていました。 そして同じことばかり言うので、 嫌気を感じていました。 そろそろ、進路を考える頃。 私は、試験を受けずに合格の可能性のある、 私立の推薦を選び、 私立二松学舎大学付属高等学校の推薦をし、 見事、合格をしました。 こうして中学校を卒業しました。 3.[江川剛史の生涯] 高校編
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